シーグラス

ある時は海、ある時は陸。人と海が出会う所・・・・ビーチ。

シーグラス


漂着物には様々な種類があり、その中のいくつかの対象については、「コレクター」と呼ばれる人々も存在しています。

けれども、漂着物の中で最も多くのファンを獲得しているのは、恐らく「シーグラス」ではないかと考えられます。

「貝」のコレクターは、世界中に大勢います。

しかし、自分で実際に浜辺で拾える貝となると、そこに種類的な限界があるのも事実です。

浜辺で小さな貝を拾っている人を見かけることがありますが、それはあくまでも「旅の記念」に拾っているに過ぎないでしょう。

また、漂着物とは言えないかもしれませんが、海岸にはシーグラスと同じように「角が取れて丸くなった石ころ」が莫大にころがっています。

当然、それらの中にはコレクターが注目する石も少なくありません。

私たちも、これまでシーグラスハンティングの傍らで、数々の「海石(?)」を拾い集めてきました。

ただ、鉱物などとは異なり、海辺で見られる石の色は極めて限られており、コレクションとしては地味なものになってしまいがちです。

数が数だけに、根気よく探せば「珍しい色」や「面白い形」の石を見つけることも不可能ではありませんが、逆に「石を拾っている人」を見つけることの方が難しいと言えるでしょう。

なぜなら、あまりにもたくさんあるが故に、人間の心理としてそこに魅力を感じなくなってしまうからです。

そもそも、石というもの自体が、海辺に限らず地球上いたる所にころがっている訳ですから・・・・。

さて、それに対してシーグラスの場合は、色の種類こそ多くはないものの、その美しさと形の多様さは他の漂着物を抜きんでています。

さらに、シーグラスは海辺にたくさん落ちている訳でもなければ、反対に全く見つからないという訳でもなく、まさに「宝探し」の雰囲気を味わうことができるのです。

また、拾い集める面白さだけでなく、シーグラスを使ったアクセサリーは、広く海外で人気があります。

ガラスの美しさと同時に、「海への思い」が募るのでしょう。

拾うファンがいて、加工するファンがいて、身に着けるファンがいて、そして珍しいシーグラスを集めるコレクターがいる・・・・それがシーグラスの世界なのです。

もちろん、ガラス自体は、現代においてはありふれた素材と言えるかもしれません。

光ファイバーなどのハイテク分野や「ガラス工芸」と呼ばれる高価な(?)世界を除けば、ガラスの価値や美しさを感じる機会は極めて少ないでしょう。

けれども、そのガラスが割れて「かけら」となり、さらにそれが波に洗われて独特の色と質感を持った時、そのかけらは私たちに対して「新たな意味」を提示することになります。

それが、シーグラスの魅力に他なりません。

どんなに価値があるものでも、それが量的に「有り過ぎ」れば、人間は飽きてしまいます。

手に入りにくいからこそ、私たち人間ははそこに惹かれるのでしょう。

「得難いものを得る喜び」こそが、まさに人の心をくすぐるのです。

シーグラスは、そんな人間の心理をうまくついた存在ではないかと思うのですが、果たしてそれは私達シーグラスファンだけの思いでしょうか・・・・?


元はと言えば、人間が捨てた「ただのゴミ」。

あるいは、単なる海辺の漂着物。

けれども、世界中で決して少なくない数の人々が、このシーグラスを「海辺の宝石」=「かけがえのない宝もの」と感じています。

不思議ですね。

ただ、残念ながらこの国ではブランド物のアクセサリーに押され、シーグラスの人気は今一つです。

皆さんも、シーグラスのアクセサリーを身に着けた人を見かけることは、ほとんどないのではないでしょうか?

シーグラスがメジャーデビューする日は、もしかしたら永遠に来ないのかもしれません。

でも、私たち渚美術館では、この一般常識からややかけ離れた「新たな意味」を、多くの方々に伝え広めていきたいと考えています。

「欠けたるもの」こそが持つ美しさ、そして深さが、きっと人々の心に「夢」と「勇気」と「希望」をもたらすであろうと信じて・・・・。